本堂跡(堂宇跡)
神奈川県伊勢原市の「浄発願寺奥の院」にある、本堂跡(堂宇跡)。浄発願時奥の院の「五十三段の石段」を登りきったところにあります。
文化7年(1810)22世速阿上人により再建された間口7間(約12.73m)・奥行12間(約21.81m)の本堂があった。
「浄発願時奥の院」案内板より
昭和13年(1938)秋の山津波で倒壊するまで浄発願寺の本堂・庫裡などはここにあった。本堂は、貞享2年(1685)秋田城主佐竹氏出身の4世空誉上人の時代に完成したが、寛政7年(1795)の火災で焼失した。その後、文化元年(1804)22世速阿上人の時代に再建され、間口は7間(約12.73m)、奥行12間(約21.81m)で、廊下・居間・庫裡等を合わせて約230坪あり、三方は自然の岩を掘り割って排水溝とし、非常の時は貯水槽となった。
周囲の山は原生林だったが、明治末の官林払い下げで伐採された。なお、山の境界には70余りの塚があった。三日三晩のお十夜法要には、本堂・庫裡等が信者であふれ、相模の三大十夜と称された。
本堂にあった浄発願寺の寺号額は、徳川家康の師寒松の筆によるもので、現在は約1㎞下の本堂に掲げてある。
「浄発願時奥の院」伊勢原市案内板より