奥の院の岩屋
神奈川県伊勢原市の「浄発願寺奥の院」にある、奥の院の岩屋。浄発願時奥の院の「子安地蔵跡」、「鐘楼跡」の先を少し登ったところにあります。
慶長13年(1608)尾張国(愛知県)生まれの弾誓上人によって開かれた岩屋で、この世の浄土と考えられていた。岩屋内中央に弾誓上人の石像があり、右側には瑩珠院殿(新君と称し、後奈良天皇の孫娘で尾張徳川代3代綱誠夫人)や佐竹、藤堂等と大名の墓石、二世但唱等の墓石が並んでいる。
岩屋前には、四世空誉上人の卵塔(伊勢原市最大)をはじめ歴代上人の墓石等がある。尚、右方には観音堂や観骨堂(六角堂で地蔵を置く)左方には五社権現(神明、八幡、春日、熊野、住吉)が祀られていた。朝日が差し込む岩屋での行や、御神木の桜で諸仏像を彫刻する等、神聖な岩屋内は一般人の立ち入り現金の聖域であった。男の駆け込み寺で有名な浄発願寺は字の通り、浄く発願する寺である。但し放火、殺人等は入山禁止であった。明治末年、大正12年(1923)、昭和13年(1938)等の山津波で埋没していた歴代住職の墓石等は、平成3年春発掘し復元された。
「浄発願時奥の院」伊勢原市案内板より